西と東、白と黒

先日の三連休、ちょっと用事があって大阪で一泊した。

翌朝早くに和歌山県内に移動する用事があり、宿は天王寺にとった。

そこで朝食は何度か立ち寄ったことのある天王寺駅構内の「天王寺うどん東口店」で、”肉そば”となった。

ちょっと浅黒い茹で置きの蒸しそばを温め直した上から色の薄い出汁が張られ、牛の薄切り肉の煮たもの、青ネギと紅白のかまぼこが乗った、目にも鮮やかなひと椀である。

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以前も書いたかもしれないが、関西風の昆布だしベースの色の薄いうどんの汁で、コシもへったくれもないやわやわモソモソとしたそばを食べるのが好きだ。

色は薄いが薄口しょうゆなどでしっかりあたりをとった汁と、上に乗った甘めの味付けの牛肉(おそらく牛丼のアタマと兼用なのだろう)は、どこかアンバランスな感じもするが、ギリギリで「アリ」な味である。

 

勿論、僕は関東の人間なので、鰹だしに醤油とみりんで味付けした色の黒いそばつゆになじみがあるが、折角の旅先で食べつけた味を食べるより、こうしてその地の味を楽しめる方が嬉しいと思う。

その土地土地で、気候風土も違えば培ってきた食習慣も異なるのだから、同じそばと言っても、その食べ方が千差万別となるのはごく自然なことだと思うのだが、たまにそうした自分の習慣に愛着や誇りを持った末に、それが過剰になって、自分と異なる嗜好や慣習を持つ人々を、皮肉ったり、拒絶したり、相手より自分が洗練された嗜好の持ち主であることを誇示しようとする人がいる。それにいちいち反論したりはしないが、あまりにしつこく言われると、内心では閉口したりもする。

差異に優劣を求め、相手を下に見ようとすることほど、愚かで醜い行為はない。

南北に長いとはいえ狭い島国である日本の国内ですら、ややもすればそばの汁の白い黒いで醜い諍いが起こりかねないのだから、広い地球の西と東となれば、問題はさらに深刻となる。

意見は意見を駆逐することは結局できない。

そばのつゆ程度なら、口を閉ざして受け流すこともできるが、これが自分が育った文化圏や、属する民族社会で大切とされる信条や、信仰に対してだったら、どうだろうか。

侮辱は怒りを生み、蓄積された怒りはいつか暴発する。

見渡せば、世界にはそうした蓄積した怨嗟が渦巻いているように思う。

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異なる文化への敬意と理解。受容と尊重。

いつでも忘れたくないものだ。