かけそば
十割やニ八で打ったそばを温かいつゆで食べる「かけそば」が贅沢な食べ物であることを知ったのはつい最近のこと。自分でそばを打つようになってからだ。
素人が自宅でそばを打つにはちょっとしたコツがいるが、茹でるのも大変に難しい。
とにかく家にある一番大きな鍋に水を張り強火にかけて、ぐらぐらと沸き立ったところに、どうにか形を保って打ちあがったそばを放り込み、沸騰する湯の中で踊らせるように茹でる。
この時、菜箸などでほぐしたりしようものなら、そばはぶつぶつと切れてしまうので、とにかく強火で、少量ずつ茹でるのが肝要だ。
茹であがったそばは冷水で洗う。
流水を直接当ててしまうと、その水勢でそばが切れてしまう。
直接流水が当たらないよう手の甲などでかばいながらやさしく、かつ手早くそばの表面に残った打ち粉のぬめりを取ってやり、最後に氷水でギリギリと締め上げざるに盛る。
ここまでが一般的な「ざる」、「せいろ」の工程だ。
茹でから洗い、締めに至るまで、どの工程も気が抜けない。
箸で持ち上げて、気持ちよく啜り上げることのできるそばを出すためには、そばを打つ技術だけでなく、細やかな心配り、基本に忠実かつ実直な仕事が求められる。
これが「かけ」となると、やっと無事に切れることなく締め上げたそばをもう一度茹で湯にくぐらせて、温かい汁に放つのだが、十割やニ八で打ったそばは大変のび易いので、そこから胃袋に納めるまで、一刻の猶予も許されない。
とにかく時間との闘いである。
悠然とそばつゆの中でたゆたう自作のそばを朝靄のように立ち上る湯気越しにいつまでも眺めていたいが、そうも言ってはいられない。
そっと箸の先で持ち上げ、ズッとすする。
ズルズルではなく「ズッ」。歯切れよく。
口中に広がるそばつゆの出汁の風味からやや遅れて、そばの青い風味が追いかけてくる。軽く咀嚼して、胃の腑に温かいそばが落ちていくときの何とも言えない満ち足りたじんわりと温まる心地は、「かけ」でしか味わえない愉悦だ。
打ちたてのそばを茹でて洗って締めてまた温め、タイミングを見計らいぬかりなく用意した温かな汁を張った丼にそばを泳がせ、一気呵成に啜り上げる。
時間も手間もさんざんかかるのに、食べるのはほんの一瞬。
贅沢な食べ物だとつくづく思う。
そして冷たいそばを食べつつ飲む日本酒は格別だが、かけそばは脇目も振らずまずはそばをきれいに啜り上げた後、残った温かい汁をアテにゆるゆるとやるのが何とも良い。
庶民が身の丈で得られる贅沢の中でも、とりわけ上等な部類に属する贅沢だと思っている。