モーニング

学生時代に、3年ほど喫茶店でアルバイトをしていました。

生まれ育った町の駅からほど近く、総席数は1Fと2Fで合わせて70席ほどで、多分地域で一番大きい喫茶店でした。

その頃はちょうどスターバックスの上陸前夜、アルバイトを始めた翌年ぐらいに有楽町に1号店が出来て、オープン直後に偵察に行ったオーナーが「ダメだね、あれは」なんてしたり顔で言っていましたが、それから10数年後、そのダメな相手が同じ通りに出店して、マクドナルドやドトールなんかと寄ってたかって、自分の店のお客さんを根こそぎ持って行く、なんて思ってもいなかったでしょう。

ちなみにその店は数年前に「CoCo壱番屋」になってしまいました。「コーヒーの香りを損ねるから」カレーライスは置かない、という主義のお店だったのに、皮肉に皮肉が重なって皮肉のミルフィーユ状態です(苦笑)

 

時は90年代半ば、外出時の連絡手段はポケベルが全盛期で、公衆電話も置いてあって、お店に電話をかければ呼び出して取り次いでくれる喫茶店は待ち合わせの定番として、町のそこかしこに軒を連ねる時代でした。

その後、急速に出店攻勢に打って出るカウンター式のコーヒーチェーンと95年にサービスが開始されるや否や、あっという間にポケベルにとってかわって若年層にまで浸透したPHSによって、喫茶店を取り巻く環境は激変するのですが、今にして思えば、喫茶店業界にとっての90年代半ばから後半は繁栄を極めていた恐竜が突如大量に絶滅したと言われている白亜紀末期のような時代だったのかもしれません。

 

話が少し逸れました。

その喫茶店は駅前の好立地で朝8時半から夜23時まで営業していたので、それはもう本当に客層が幅広く、時間帯ごとに様々な人が出入りしていました。

穏やかな人、気さくな人、無口な人、怒りっぽい人、得意先を廻る前の百貨店の外商部の営業マンや新聞勧誘員の一団、ヤから始まる3文字の自由業の皆さん、不倫カップル、近隣在のミュージシャン、自称俳優、マルチの勧誘、多士済々の顔ぶれでした。

 

毎朝、開店直後に来店する常連さんも数名いらっしゃいました。

中でも、記憶に残っているのが「専務」と呼ばれていたお客さんです。

専務は奥様と二人で美容関係の店舗を運営する会社を経営されていました。

奥様が社長で「専務」が経理や人事などの裏方を一手に引き受けていたようです。

タレントで言うと、奥様は体躯がマツコ・デラックスで、彼女(?)をもっと人相を悪くしたような感じの方、「専務」は今は亡き大泉滉さんが髭を剃ったような痩せぎすの紳士。おそらく専務の方がかなり年上だったのではないでしょうか。並んで座っているところを見ても、まずご夫婦には見えない取り合わせでした。

 

「専務」は毎朝、おひとりでやってきました。

決まって、青地にうっすらとストライプの入ったスーツに白いワイシャツといういでたちで、とかく”自分の席”を決めたがる他の常連さんとは違い、毎朝、空いている席に適当に腰をおろされました。

朝の時間帯は、社員の店長かオーナーのどちらかと、僕のようなアルバイトの店員の2名で営業をしながらランチタイムの仕込をするというのがその店の流れで、僕か店長(またはオーナー)、その時に手の空いている方が「いつもので?」と尋ねると、「専務」が無言で頷くというのが毎朝の恒例となっていました。(そんな風だから、よくよく思い出してみると、僕は「専務」の声を聞いたことがないような気もします)

 

そんな無口な「専務」の「いつもの」とはコーヒー、バタートースト、生野菜のセット、所謂「モーニング」でした。

僕がその店でアルバイトをするずっと前から、きっとそればかりを頼んでいたのでしょうね、きっと。

とにかく僕が初めてアルバイトとしてその店で接客してから、ずっとそれを召し上がっておられました。本当に最後まで。

 

「専務」はその数年前に胃を悪くされた(これも店長から聞いた)とかで、お出しするコーヒーは決まってブレンドコーヒーをお湯で薄めた巷でいうところの「アメリカン」でした。

(お店は一応コーヒー専門店を名乗っていたお店だったので、通常はアメリカンロースト、いわゆるごく浅炒りの豆を注文ごとに粗く挽き、ドリップの速度を速めて抽出してお出しするというスタイルでした)

それに通常のモーニングの生野菜にはつけない、茹で卵の半切りを添えてお出しするのが「専務のモーニング」でした。

 

そうやって店からほど近いご自宅から、来る日も来る日も、「モーニング」で朝食を摂りほぼ無言で会計を済ませすと、やはり店からすぐのところにある会社の事務所に出勤される。

ほぼ毎日その繰り返しでした。

経営されていた美容関係の会社の休日は火曜日だったので、本当にごくまれに、火曜日の朝に奥様とお見えになることもありました。

といっても2人で連れだって来るのではなく、専務が休日だというのにいつもと同じスーツ姿でいつもと同じ時間にお店にいらした後から、パジャマにカーディガンを羽織ったような格好の奥様が現れて、好き勝手なモノを頼んで一緒に飲み食いをする、というだけでしたが。

詳しく書くことは避けますが、後から事情を知っている他の常連さんから伺った話によると、恐妻家だった「専務」が時折、深夜に家から閉め出されて玄関先で所在なくされている姿などを近所の方が見かるようなこともあったそうです。

 

アルバイトを始めて3年目にもなると、僕は学校の授業の関係もあり朝の時間帯のシフトから、夕方から閉店までのシフトに入ることが増え、専務をお見かけする機会も減っていました。

その頃はバイト歴も長くなってレジ締めも任されるようになり、夕方に僕が出勤すると、店長が交代で帰宅するということが多く、その引き継ぎ時などに「専務がどうもあまりよくないらしい」という話は聞いていたのですが、ある夜、閉店間際の時間に僕がホールに出て各テーブルの紙ナプキンなどの補充をしていると、見かけない小柄な若い女性が、モーニング用の木のトレイに、綺麗に洗った皿と、コーヒーカップ、スプーン、食器などを乗せて、店に入ってきました。

「○○(「専務」の経営されていた会社名)の者です」と小さな声で名乗って、僕にトレイを手渡すと、彼女は深々とお辞儀をしました。

肩が少し震えていました。

「最後に、専務がいつも召し上がったいられたものをお供え出来ました。ありがとうございます」

目を赤くさせたその女性は、そう言うとお店から出て行きました。

事情が呑み込めていなかった僕が、厨房の中にいたオーナーの方を見ると「亡くなったんだよ、昨日。それで、専務の会社の若い子たちがお供えしたい、ってね」とオーナーは言って、若い女の子の持ってきたトレイに視線を向けました。

 「そうだったんですね…」

としか言うこともできず、とりあえず僕は、紙ナプキンの補充作業を再開しました。

 

あれから20年弱。

今でも時折、何かの拍子に「専務」のことを思い出すことがあります。

以前の僕は「専務」は不幸せだったと思いこんで、奥様をちょっと軽蔑していたような節もあったのですが、今ではちょっと見方が変わったというか、記憶の中の「専務」のお姿を思い起こすと、無口で声も思い出せないほど物静かな方でしたが、それなりに楽しく、ひょうひょうと暮らされていたのかも、と思えるようになってきました。なんというか少なくとも「悲しそう」にはされていなかったナア、と。

 

自分も結婚したからそう思えるようになったのかもしれません。

酔っぱらって深夜、自宅まで意味もなく遠回りして帰るときなどに、今も残っている「専務」のご自宅の前を通りかかることがあります。

ちょっとくたびれたスーツとワイシャツ姿の「専務」にはお世辞にもお似合いとは言えない、地方のラブホテルみたいなかわいらしい洋館風の建物(きっと奥様の趣味でしょうね…)なんですが、癇癪を起した奥さんから深夜、締め出しをくらって途方に暮れている「専務」の姿をぼんやりと想像してみると、何が不幸で、何が幸せか、なんて自分で決めることなんだなあ、と思えてくるのです。

いつか僕も「専務」のように奥さんから締め出されて、途方に暮れることもあるかもしれませんが、その時に僕が不幸かどうかなんて、僕以外には分からないはずですから。

ですよね?>「専務」

 そうならないように精一杯、気をつけたいと思いますけど(笑)