すっぱい葡萄

グリム童話に「すっぱい葡萄」という話があります。

あらすじは

キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%99%E3%81%A3%E3%81%B1%E3%81%84%E8%91%A1%E8%90%84

というもの。

なんとなく、昨日あたりからTwitterの自分のTL上に並んだボジョレーヌーヴォーに関するツイートを見ていて、この話を思い出しました。

個人的に、今日のボジョレーヌーヴォー蔑視の醸成に「美味しんぼ」の果たした役割は大きいと考えています。

原作者は下記エピソードの中で主人公の山岡士郎ボジョレーヌヴォーに関してこう言わせています。

「やれやれ、ボジョレーヌーヴォーなんかを本気で美味いと思っているのか…」
http://oishimbo.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=10250201

当時の日本はバブルの真っ盛り(上記エピソード所収の単行本は1990年発行)で、当時、未成年だった僕から見ても、大の大人たちが、よくわかりもしないワインの新酒の解禁にはしゃいで回る光景を鼻白む思いで見ていた記憶があります。

この作品の中で語られるボジョレーヌーヴォーに関する記述に大きな誤りがあるとは思いませんが、だからと言って、皆が皆、山岡士郎気取りで、そういった楽しみ方そのものを、批判する根拠にはならないはずです。

僕は個人的にはヌーヴォーを毎年楽しみに待ったりすることもなく、年によって口にしないままのことの方が多いのですが、だからといって、美味しそうに飲んでいる人に向かって

「そんなものはワインじゃなくてブドウジュースのアルコール割だ」

みたいな講釈を垂れるほど無粋な人間ではないつもりです。

美味しんぼ」という作品自体、僕も小学生のころから愛読していて、食に対する参考書として最高の部類に属する著作だと考えていますが、原作者も人の子で、認識違いや、視点の偏狭さによる、誤用や誤解も散見されます。

一つの例として、ビールに関する記述をあげてみます。

http://oishimbo.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=10160102

原作者はドイツの「ビール純粋令」を根拠に、麦芽とホップ、水以外を使用して醸造されたビールは正当なビールではない、とピルスナーなどの下面発酵以外のありとあらゆるビアスタイルを否定し、ヨーロッパ全域の豊かなビール文化を完全に無視した発言を主人公にさせています。

ビール純粋令とは、皇帝ヴィルヘルム4世が、農民が小麦やライ麦など、主食用の麦をビールの醸造に使うことを禁ずるための法律です。
ビールそれ自体の定義を目的に制定された法律ではなく、悪法との見方もある法律 であることを、原作者はあえて無視したか、そこまでの調査をしなかった故の、稚拙な暴論です。

実際に法律の制定後も、美味しい小麦やライで作ったビールを貴族たちはその財力に物言わせて飲用していたとのこと。

何が言いたいか、というと、権威を鵜呑みにして偏狭な枠に自分を押しこめるより、原理原則は踏まえながらも、様々な嗜好や、その楽しみ方を鷹揚に享受した方が、その人の人生はより豊かなものになるだろう、と。

そして、自分もそのようにありたいと、齢四十にして改めて思わされた次第で、自戒の念を込めて。