やるきのもんだい

大人数で酒を飲むのが、実は少し苦手な性分のようだ。
楽しくないわけではないが、サービス精神が旺盛というか、要は調子に乗りやすい性質(たち)なのだろうが、座を盛り上げようと話しすぎてしまい、終わったあとなどに、随分くだらない話をしたものだ、とぐだぐだと考えてしまうことが多いのだ。

ある夜、事情で大人と子供あわせて15人以上集まる食事会兼飲み会のようなものを主催する羽目に陥り、結果、いくつかの不幸な事故などで、店に迷惑をかけ、さらに、その迷惑をめぐって連れ合いとつまらぬいさかいを起こしてしまい、普段よりもさらに深い自己嫌悪に陥った。

気分がくさくさして、自分で切り替えることができない。
いい年をして情けない話だが、連れ合いと平穏な関係を維持できないことは、僕にとって相当堪えることらしい。

あくる日の朝、とりあえず出社してはみたものの、仕事が捗るはずもなく、どうしても外せない打ち合わせが終わった午後2時過ぎ、適当な口実を作って、会社を出た。
もちろん、「直帰する」宣言付きである。
この不景気に、ばれれば即失職とまでは行かないものの、かなり気まずい思いをするはずだが、その時はその時、だ。

会社を出て、まっすぐ地下鉄に乗り、淡路町の駅で降りた。
神田「まつや」の暖簾をくぐったのは3時少し過ぎ。蕎麦屋で一杯やるにはうってつけの時間だった。

「いらっしゃーい」

さして広くない店内だが、ざっと数えても4人ほどのお運びのお姉さん達の声が、一斉に迎えてくれる。

奥の二人がけのテーブルに案内され、腰を下ろす。

「ビール、小さいのと、とりわさ」
「ビール、キリン、サッポロ、アサヒは?」
「キリンで」

年寄りの客が多い店ほど、いちいち客の好みが面倒なのか、瓶ビールは後発の洋酒メーカー某社を除く3銘柄を取り揃えるところが多い気がする。
店内見回せば、僕のほかの客は定年後と思しき品のいい身なりをした老人だけの4名のグループ客が二組、僕の隣の席のスーツ姿の男性二人連れはおそらく定年間近の「リッパな肩書きの閑職」と思われた。
かと思うと、そういった客層に混じって、おそらく気さくな店構えと場所柄からか、ここが名にしおう名店と知らずに競馬新聞片手に「カレー南蛮」など頼んだうえにロクに味わう形跡もないまま胃袋に納めると、さっさと立ち去っていく人が混ざるのが面白い。
店の懐の深さというか、良い店ほど、程よく客を選ばない。

程なく、目の前に、お通しのなめ味噌と、キリンの小瓶と小さなビールグラスが運ばれてきた。
若い頃はこの小さなビールグラスという奴が大嫌いで、池波正太郎が随筆(おそらく『男の作法』)で「ビールというのは小さいビールグラスについで飲むものだ」というような薀蓄を披露しているのを読んで、ここに書くのははばかられるような、たいそう失礼な感想を持ったものだったが、今ではなんとなく(その理屈の正当性はともかくとして)心情は理解できるようになった。

ともあれビールをグラスに注ぎ、なめ味噌をひと舐め、ビールをぐい。
前夜のワル酔いが残った身体に冷たいビールが心地よい。

続いてとりわさが出される。
湯引きしたささみに、ワサビ醤油を絡め、天盛の白髪葱と刻み海苔。
誠に結構な塩梅だ。

相変わらず連れ合いとのつまらぬいさかいが、心にどんよりとした影を落としていたが、まあ、それはそれだ、と多少気軽になったところに、向かいの席に職業不詳の中年男が通された。

まあこちらも昼日中に働き盛りの男が老人に混じって昼酒を決め込んでいる上に、服装も名乗らなければ絶対に会社員とは思われないラフな服装をしているので、人のことを職業不詳だのと言えた義理ではないのだが、その男は、グレーのスラックスに薄手の紫のタートルネック姿。
仕立ての良さそうな茶色がかったウールのジャケットをさらりと羽織り、鞄は持っていない。

近所からぶらりと来たか、鞄を必要としない職業か。

通いつけているようで、何品か手短に注文する時も、切れ長の目元にうっすらと笑みが漂っている。
いわゆる「悠庸たる」立ち居振る舞いとでも言おうか、背筋もピンと伸び、こちらが恥ずかしくなるような身のこなしである。

こちらもちょっとばかり背筋を伸ばし(まつやの腰掛は、中央部分が少しくぼんでいて僕にはちょっと収まりが悪く感じられる)て座りなおし、おさけをひや(常温)で注文した。

なめ味噌ととりわさを交互につまみつつ、ひや酒をやりながら、向かいの男を観察すると、彼も酒を傾けつつ、やきとりなぞをつまんでいる。
その焼き鳥に山椒をふる手つきが、また只者ではない感じだ。

山椒の器からみみかきほどの小さな杓に山椒を取ると、それを焼き鳥の乗った皿のほぼ真上あたりに持っていくと、杓から直接バラバラとかけるのではなく、杓を持った右手の手首を左手でとん、とんと叩いて、高いところから、均一に焼き鳥に山椒が振りかかる様にしているのである。

うーん、只者ではない。
きっと何か芸事の世界に身を置いている人かもしれないな、などと下賎な勘繰りをしつつ、通りがかったおねえさんに「もり」を一枚注文した。
まつことしばし。

出された「もり」はうっすらとキレイな緑色を纏った端正なニ八である。
もり汁は薄すぎず、辛すぎず、誠に上品な塩梅に仕上がっており、ひや酒との相性も心地よい。

良い蕎麦を食べるといつも、体がせいせいとするというか、なんだかさわやかな気持ちになる。

蕎麦湯をいただき、勘定を済ませてのれんをくぐって外に出た。
花曇である。
対してこちらの心持は多少冴えていた。

所作の堂々とした向かいの席の男を思うと、酒席を巡るトラブルで連れ合いとつまらぬいさかいを起こした挙句に、仕事をサボタージュしているわが身が恥ずかしくもあるが、まあ人は人だ。

時計を見れば、16時少し前。
当初は、蕎麦でも食べてから神保町に足を伸ばし、本屋でも冷やかそうかと思っていたのだが、早い店ならそろそろ赤提灯に明かりが灯りだす時間である。
少し歩けば「みますや」もある。
しかし、あすこは、一人で行くには、ちょっとにぎやか過ぎるきらいがある。

ええい、こうなったら普段いけない店に足を伸ばしてやろう。

と思い立ち、淡路町の駅から、都営新宿線に乗り、森下へと向かうことにした。
よせばいいのにねえ。


この項続く