深夜特急

10時頃目を覚ます。
家人は寝床を出たらしく、締め切った寝室独特の空気。
締め切ったままのカーテンの隙間から差す明かりに、細かい埃が反射して、ちりちりと光っている。

時計を確かめ、カーテンと窓を開け放ち、布団を干す。
物干し台に出ると、思いのほか日差しが暖かい。
枕カバーやシーツ類を外し、階下に下りて洗濯カゴに放り込む。

台所に立ち、前夜の汚れた食器を洗いながら、琺瑯のドリップポットで湯を沸かす。
ドリップポットは琺瑯と真鍮の両方を持っているが、使い分けの基準は特にない。
洗い物が片付く頃、ガス台の上のポットが沸騰してカタカタと鳴る。
フィルターを折ってドリッパーにセットして、そこにコーヒーの粉を目分量で入れる。
家で飲むコーヒーは安物の豆だが、コーヒーマシンは使わない。
基本的にペーパードリップで、飲むたびごとに自分で落とす。
必ずアイスで飲む。
これは家でも外でも変わらない。

コーヒーを一口のみ、洗濯カゴの汚れ物を皆、洗濯機に放り込む。
ゴウンゴウン、と低い音を立てて洗濯機が廻る音を聞きながら、残りのコーヒーを片付ける。

無性にどこかに行きたかった。
どこよりも安らぐ場所にいながら、その場所で冬の休日の朝を、習慣どおり平穏に過ごしながら、ここではないどこかを欲していた。
渇きにも似た衝動だった。

私は表面的な平穏を保ちながら、出奔への衝動を懸命になだめた。

まずは落とし終わったコーヒーのフィルターを片付けてしまうのが先決だった。
フィルターとコーヒーがらをゴミ箱に捨て、陶製のドリッパーを洗い、洗剤のついたままの手で、グラスのコーヒーの残りを一息で煽る。

そのまま居間を出て、階段を上がり、寝室の隣の物置代わりの部屋の書架から、文庫本を6冊引き抜いて、その足で寝室に戻った。
手にしたのは随分久しぶりに手に取る本だった。

寝室にしている6畳の和室の色の抜けた青畳の上に2月の高い陽光が陽だまりを作っている。
窓の外では布団が同じように陽の光を受け、階下の洗濯機の低い唸り声と振動が伝わってくる。

私はたたみの上にごろりと横になり、せめてこの週末中に、半分は読み返してしまおう、と考えていた。

色々と障害はあるかもしれないが、その程度が、せいぜい身の丈にあった出奔だった。