Call If You Need Me

20代の頃は、ただ漂うように毎日が過ぎて行った。
無駄に眠り、無駄に悩み、ただ徒に、若い日々を損なうように怠惰に過ごしていても、日々は無自覚に過ぎて行った。

30代の半ばを過ぎて、眠れない夜が増えた。
酒に弱くなり、悪い酔い方をするようになった。
人の痛みに鈍感になり、大抵のことで心を迷わせたり、悩むことはなくなったが、胸の中に何か、飲み込むことも噛み砕くこともできないものを、いつも抱えるようになった。

ただの憧れだった破滅的な生き様を見せた作家達の作品を読み返してみると、まるで明け方に見る夢のような、居心地の悪い読後感を残す。
一体、若かった頃の自分は、こんなもののどこに自分の中のどの部分を共感させていたのか。

アルコールや、金銭的な不安、配偶者以外の女性の影や、家族の不和。
自分自身の将来を暗示するかのようなテーマの作品、それを自分の分野とする作家達の本を、若い日の自分は好んで買い集め、それを読み、一体何を感じていたのか。

必要になったら電話をかけて The complete works of Raymond Carver (8)

必要になったら電話をかけて The complete works of Raymond Carver (8)

レイ・カーヴァーの死後、パトーナーのテス・ギャラガーによって発見された未公開の短編が数編とインタビューなどが収録された本書中の一遍。

妻と離婚し、裁判所から接触禁止命令を受けた男が、見知らぬ町に流れ着き、間借りした部屋の家主のために、一冬分の薪を二日で割ってしまう。

何かが決定的に損なわれてしまったからこそ、人はそうせざるを得ない時に、何か絶対的な存在との接触を求めて、一見すると奇妙な方法で、その存在に対し、何事かをあらわそうとする。

その絶対的な何かの呼び名は何でもかまわない。

どんなものの内部にも存在する、その普遍的な存在に向けて、ある行為(祈りや懺悔)を捧げる気持ちを、僕も少しなら知っている。
そういう年代に、差し掛かってしまったのだ。