旅先にて
お盆ですね。
きっと帰省や旅行で普段お住まいの場所から離れられている方も多いことでしょう。
僕は先週末、ちょっと用事があってお盆シーズン前に一人で大阪まで行ってきました。
若いころ、あまり旅行をする習慣がなかったのですが、30代後半から仕事で国内の主要都市に一人で出向くことが増えてきたおかげで、旅の楽しさのようなものがちょっとだけ、わかるようになりました。
旅の間、特にひとり旅の時に、町や景観と自分との間に薄い膜のような距離感を感じることがあります。
その場所に住む人の生活の息吹のようなものに触れる場所、在来線の駅舎や車窓に広がる家並み、迷い込んだ商店街、日本中どこにでもある大して変わり映えのしない景色なのに、何故だか原寸大のジオラマを見ているような感覚にふと捉われるのです。
確かに生身の人間がそこで暮らしているのに自分の帰るべき場所がない、という寄る辺の無さがそうさせるのかもしれません。
ただ、その一方で心底から湧き上がってくる感覚もあります。
頼るべき人、帰るべき場所もない代わりに、その町で一夜、自分の身一つを養えばよいだけという気ままさ。
大阪に出向くと必ず訪ねる店があります。
地下鉄の天王寺駅に直結したショッピングモールの中にあるその店の暖簾をくぐって引き戸を開け、通されたコの字型のカウンターの席に腰を落ち着けると、大抵まずは燗酒を注文します。
注文を取るとカウンターの中のお姐さんが慣れた手つきで銅製の酒燗器で手際よく燗をつけてくれます。
屋号の刻まれたガラス製の徳利と共にスッと差し出された磁器製のお猪口を手に取るとカウンターごしに「どうぞ」と、最初の一杯をお酌してくれるのがこちらの習わしです。
そこかしこで陽気ななにわ言葉が飛び交う店内は関東生まれの関東育ちの自分にとっての大阪の町の縮図のようで、その中で、燗酒の最初の一口を「くいっ」と口に含んだ瞬間に言い知れぬ解放感が足元から押し寄せてきたかと思うと、一気に全身を攫われて、町に迎え入れてもらえたような心持になれます。
来阪のたびに通うようになってもう3年ほどたち、何度訪れてもあまり馴染めない大阪の町にようやく自分の居場所が出来たというか。
今までは生まれ育った関東の狭い一帯以外で暮らすことなんて考えることすら無かったのですが、こういうお店さえあれば、日本全国どこへ行っても自分は生きていけるんじゃないか、などと思えてきます。
・・・結局、飲めればどこでもいいってことなのかもしれませんね(笑)
ま、「住めば都」ならぬ「飲めば都」ってことで。