コントラスト


月曜日の昼休みのコーヒーショップ。
家電メーカーの本社ビルに隣接したオフィス街の商業ビルの1F。
大きな窓の向こうにその家電メーカーの維持管理するちょっとした広場の芝生と、それを取り囲んだ木々の紅葉が広がっている。
冬の高い日差しを受け、北から吹く風に梢が揺れている。
その風に乗って紅葉したての枯葉がどこかへ飛ばされていくのを、僕はソファに腰掛けて眺めていた。


コーヒーショップの時計の針は12:25ごろを指している。
きっと僕の座っているソファの廻りは、昼休みの喧騒と、OL達の甲高い会話で騒がしいはずなのだが、僕の耳には入らない。


イヤホンから流れる、埃の匂いのするしゃがれた歌声を聴いている。


窓の外の広場の上を、空港へ向かうモノレールが走り抜けていく。
車窓にガラスのような冬の日差しを受けて、音もなく。


コーヒーテーブルの上の冷たいコーヒーに手を伸ばし、それを一口、口に含む。
モノレールが視界から消え、また大きな風が吹いた。
一際大きく、木々が揺れて、赤や黄色の大きな波が何重にも連なる。


瞬間、何かの限界が訪れて、目を閉じた。
閉じた目の目じりの辺りに、何か水性の感触がある。
目を開けて、視線を伏せた。
コーヒーショップの床のモザイク模様と、テーブルやスツールの足、女達のヒールのかかとや細い足首。
目じりの辺りの水分は、流れて落ちることはなく、掻き消えた。


驚いていた。
こんなことがまだ自分に起こるなんて。
かすかに体が震えたのは、イヤホンから聞こえる歌声のせいなのか、自分自身への驚きのせいなのか。


色々なものを失くしたと思っていた。
30代の半ばに差し掛かり、背中に重い荷を負っていた。
20代の後半から年々重くなっていくそれを落としてしまわぬよう、代わりにいろいろなものをすこしずつ手放した。
下ろす機会がなかったわけではないが、機会を失ってしまったことは確かだ。
かつてジーンズやカバンの中の使わないのポケット、めったに開けないクローゼットの奥などに大事に忍ばせていたような、雑多なものたち。
狭い部屋の片隅や、夜の街や、薄暗くにぎやかな場所の空気のなかにいつも潜んでいた甘ったるい何か。
取るに足らない何か。

捨てることにためらいはあった。
失くしたものを振り返ることもあった。
だが、ある部分で楽になっている自分を自覚してもいた。
自分の中の形のないものに、煩わされなくなった。
形のある部分は、程よく角が落ち、すこしだけ取り回しやすくなった。
その代償は形のないものが器官として司っていたある感情だった。
切なく、甘く、曖昧な感情。


僕は体をソファに沈み込ませ、もう一度、目を閉じた。
乾いた唇に、また一口、冷たいコーヒーを含む。
瞼の裏がやけに暖かい。


僕らをつないでいるもの。
埃っぽく、ざらつくビブラート。


もうしばらく、目を閉じていよう。
窓の外の、冬の日差しの明るさや、色付いた木々の梢の色を、閉じた瞼の裏側に感じながら。
歌声が、瞼の裏のその景色を、滲ませていく。



コントラスト

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